多可町 そこまでやったか!

高みを目指す、匠たち

美しく豊かな自然に恵まれた環境で長い歴史と伝統を継承し、個性ある文化を育む。
それが、多可町のものづくり精神です。

1000年超の歴史を誇る伝統和紙「杉原紙」、酒米の最高峰として名高い「山田錦」、敬老の精神を全国へ伝えた「敬老の日」の3つの発祥の地である、多可町。
自然、歴史資産、地元の食材を使った特産品など、風土産業を大事に発展してきた根底にあるのは、ものづくりに携わる町民の精神。
多可町の技術と探究心、そして創造力が、町づくりを育んでいます。

匠たちのものづくりインタビュー

杉原紙

古来、日本一の名紙。

兵庫県指定重要無形文化財保持団体に認定。
一度は衰退したものの、復興に成功。今では、普段使いができる杉原紙製品の開発や改良、そして多くの人に魅力を伝えるために紙漉き体験ができる工房も設立されています。

杉原紙の歴史

古来、日本一の名紙と謳われた手漉き和紙「杉原紙」は1300年の歴史を誇ります。昭和58年には、兵庫県指定重要無形文化財保持団体に認定されました。その歴史は奈良時代後半にまでさかのぼり、平安時代から室町時代には貴族、武士階級に最高級の献上品として広く用いられ「武士は杉原紙以外の紙に文を書いてはならない」とまでいわれました。その後の江戸時代には生産の最盛期を迎え、当時で和紙を漉く家が300軒以上といわれましたが、激増する需要に追いつけず、全国各地の製紙地で、杉原の名を付した和紙が漉かれ始めました。当時の杉原紙はそれらの本家本元であり、品質も最上であったことから「播磨御上り杉原」として別格の扱いを受けました。その杉原紙も明治期に入ると西洋の製紙技術の流入により衰退の一途をたどり、大正末期には歴史の幕を一旦閉じました。時を経て、この播磨の地で再び杉原紙を漉こうとの文化的な気運が高まり、昭和45年に復元に成功。昭和47年に全国でも珍しい「町営杉原紙研究所」を設立し、日本一の手漉き和紙・杉原紙の生産を再開しました。

山田錦

酒米の王様。

昔からの有機質肥料栽培にこだわり、有機JAS米の認定を受けるなど、高い評価を受ける生産者が数多くいます。また、山田錦をしのぐ酒米があるかもしれないと考え、山田錦の兄弟品種「白鶴錦」を作り上げるなど、生産者の挑戦は今もなお続いています。

山田錦の歴史

日本酒愛飲者に圧倒的な人気を誇るのが、酒米の王様・山田錦で作った日本酒です。その山田錦が誕生したのは昭和11年。大正12年から「山田穂」を母、「短稈渡船」を父として13年の歳月をかけ数々の試験を積み重ね誕生し、母の名にちなんで「山田錦」と名付けられました。この母となる「山田穂」は東安田の山田勢三郎翁が発見したとされており、多可町が山田錦発祥のまちと言われるゆえんとなっています。多可町内には、村米制度と呼ばれる特定の蔵元との間で結ばれる酒米取引に取り組む集落があります。品質の良い酒米を求める蔵元と、安定した販売先を求める農家との思いが一致しており、干ばつや水害、また震災などの災害時にも助け合うなど、単なる酒米の取引関係だけでない、強い繋がりが現在も続いています。

播州織

江戸時代寛政年間に京都西陣から織物の技術を導入したのが起源と伝えられ、200年以上の歴史を持つ綿織物、播州織。糸を先に染めてから織る「先染め」が特長で、染色した糸の配置を変えることでストライプやチェックなど様々な柄をつくります。
今でもその技術を生かし、普段使いできる製品を作り続けています。

播州織

ラベンダー

多可町には西日本最大級の敷地面積を誇る、「ラベンダーパーク多可」があります。農薬を使わずに大切に育てたラベンダーは、一株ずつ丁寧に刈り取られ、水蒸気蒸留法で一滴一滴採油し、精油と芳香水になります。リラックス効果や皮膚細胞の活性化など、様々な効果を秘めたラベンダーを多くの人にお使いいただけるよう、今もなお製品開発が進められています。

ラベンダー

播州百日どり

毎日太陽の光をいっぱいに浴びながら、より自然に近い環境の中で、肉のうま味の素であるイノシン酸がピークに達するまで、約100日間という時間を掛けてじっくりと育てている、播州百日どり。肉質は繊維質が細やかで口当たりがよいのが特徴で、運動量も多いため、肉の締まりがよく歯ごたえも十分。このおいしさを多くの人に味わっていただくため、
加工品開発も進められています。

播州百日どり